君たちはどう生きるか、私はこたえられるのか。
※個人の感想しかありませんが、
ネタバレにつながるかもなので、イヤな方はお気をつけて。
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前情報がないことでしか得られない体験がある。
世の中に作品が生み出されるとき、そして、自分が生きているとき、この2つのタイミングが揃わなければ、出会うことができないわけですが
だから仕方のないことではあるのですが
中学生のとき、
高校生のときに出会っていたとしたら
何を自分は感じたのだろうか。と、思いながらこれを書いている。
や、高校生のときに見たかったなーとかそういうわけではないのだけれど。
最近の自分ときたら
アイデンティティを少し見失っている。
自信もなければ理想もない。
シニカルに表現される"大人"そのもの。
悩みはするがエネルギィが足りていない。
映画自体も、
表面的にしか受け取れていないんじゃないか。
なので、そのもやをアウトプットしておこうと思った。ひさしぶりにここを思い出した。
これまでに自分が積んだ積み木はいくつなのだろうか?悪意に染まったパーツはいくつあった?
バランスはどうなっている?
自分で積み木を選べている?
渡されたものを積んでいる?
わたしが創りたかった世界を、わたしは創れている?
わたしが、創りたかった世界とは?
1人の少年の冒険活劇として、成長物語として、楽しめた。さまざまに散りばめられた、たくさんの大好きな要素を発見するのも嬉しかった。
タイトルから見て不安に感じていた、説教ぽさや胡散臭さは全くなかったし、主人公の心の成長も、嫌味なく受け取れた。
彼はなぜ躊躇なく選択できたのだろう。
抱いていたさまざまな反発は消えてはないだろう。非道い社会情勢のなか、不本意な生活を送らねばならないだろう。
けれど、自らの悪意を認め、大好きな母親と別れ、冒険の中で培った友情も、理想の世界を創れる力も捨てて、ドアを潜る選択をすることができたのは、何故なのだろう。
まあ、残ったとしても苦労はしそうではあったけれど、、
どうあっても、生きるのは苦しいことなのかもしれない。一切皆苦。
だからその苦しみの中で、自分はどう生きるのか、選択して積み上げていく覚悟が問われているのかも。な。
やはり言語化するのは難しい。
みてよかった。
今日見るべきだと、ナニモノかに後押しされたのだと信じている。
つながりで、鈴木敏夫展にも足を運ぶ。
以前、高畑勲さんの展示会に行ったときに感じたパワーを、今回の鈴木敏夫さんの展示会ではもっと強烈に感じた。
プロデューサーとしての考えや行動をアウトプットしてくれていたことが大きい要因のように思う。
仕事は楽しく。
楽しくするために努力をする。
自分が率先して動く。だからまわりが動く。
動かなくても動かしにいく。
ロジカルに説得もするし、熱量もぶつける。
やるべきことのなかで
自分の理想や夢を叶えてもいる。
1番、監督に寄り添って、ときには代弁者になり、ときには壁打ち相手になり、どんなに不条理でもとことん相手を理解して、最上のものを作りだす。
理屈はわかる。
自分の行動を振り返るとこうだった、ということだとも思う。やり遂げてきているから今がある。
本当にすごいプロデューサーだ。
理想を体現している。
終わりにもらった言葉。
まったくすぎて突き刺さる。
大凶なのはいまの自分への戒めなのかもね。
よいタイミングで、大事なインプットができた。
理想を描こう。
そしてそれを叶えるための計画を立てるのだ。
そのためには現実に即して動くしかない。
動かなければ変わらない。やりきらなければ。
"現代社会では、理想ばかりを追う傾向が強い。
だから現実的である必要があるがそればかりでは面白くない。
理想を失わない現実主義者になれ。
夢や希望は忘れちゃいけない反面、「やり切る力」がなければ実現できないから。"